成長相転換(花成)の制御

1.6 FT遺伝子をめぐる未解決の課題

FT遺伝子に関しては、いくつかの重要な疑問が未解決のまま残されており、これからの研究課題となっている。以下に、そうした課題をいくつか列挙する。

意欲と志ある学生諸君の参加を得て、これらの課題に取り組み始めている。

1.FT遺伝子はどのような機構で花成を惹起するのか?

これが最も重要な、そして最も明らかにしたい問題であることは論を待たない。

例えば、転写因子をコードするLFY遺伝子の場合には、花芽分裂組織決定遺伝子 APETALA1、花葉器官の属性を決定するホメオティック遺伝子 APETALA3, AGAMOUS 等の遺伝子の転写を制御し、分裂組織に花としての属性を獲得させることがそのはたらきの本質であることを明らかになってきた。しかし、FT遺伝子の場合には、それがコードする蛋白質の生化学的な機能は、残念ながらこれまでのところ明らかになっていない。

FT 蛋白質は、TFL1, CEN 等の植物由来の他の蛋白質とともに哺乳動物のフォスファチジルエタノールアミン結合蛋白質(PEBP)と高い相同性を持つ(図5B)。PEBP, CEN 蛋白質については、それぞれ1998年、2000年に結晶構造が決定され、基本的に同一の立体構造をとることが確認された。相同性の程度から考えて FT, TFL1 蛋白質も同じ立体構造をとると予想され、FT, TFL1遺伝子の突然変異のうちのいくつかは、PEBP において立体構造の上から重要であると考えられるアミノ酸残基の置換であった(図5B)。そうしたことから、PEBP についての情報は、FT 蛋白質の生化学的機能を理解する上で有用である。

哺乳動物の PEBP の生化学的活性については、これまでに3つの独立の報告がなされている。まず、 Kobayashi et al. 1999 の投稿時点で、海馬で産生される神経ペプチド hippocampal cholinergic neurostimulating peptide (HCNP) の前駆体蛋白質が PEBP そのものであることが報告されていた(図5D)。その後、Raf-1 キナーゼ阻害蛋白質(Raf-1 kinase inhibitor protein, RKIP)として同定されたものが、やはり PEBP そのものであること、thrombin(セリンプロテアーゼ)の特異的な阻害蛋白質として精製した蛋白質が PEBP そのものであったことが相次いで報告されている(それぞれ1999年9月と2001年1月)。出芽酵母の TFS 蛋白質(PEBP ファミリーの蛋白質)も、carboxypeptidase Y の特異的な阻害蛋白質であることが1998年に報告されている。哺乳動物の PEBP の3つの報告例は、いずれも実験的には確かなものであるが、相互の関係は明らかではない。これらは哺乳動物の PEBP が多機能蛋白質であることを意味するのかもしれない。これらをヒントにして、FT 蛋白質の生化学的機能を明らかにしたい。

FT 蛋白質の生化学的機能を明らかにすることと併行して、植物体内のどの細胞で FT 蛋白質が機能しているかを明らかにすることは、FT遺伝子のはたらきを理解する上で必要不可欠である。しかし、その手がかりとなるFT遺伝子の mRNA の組織内分布をin situ RNA hybridization 法等によって明らかにすることには、これまでのところ成功していない。今後の希求の課題である。

2.FT遺伝子の発現はどのように制御されるか?

FT遺伝子の発現を制御する主要な経路は明らかになったが、個々の経路がいかにしてFT遺伝子の発現を制御しているのかは不明である。例えば、CO, FLC 等の蛋白質がFT遺伝子の発現を制御する分子機構について理解を深めることは、魅力的な課題である。

3.FT遺伝子は他の植物種でも花成に関わるか?

FT遺伝子の相同遺伝子は他の植物種にも存在する(Kobayashi et al. 1999)。シロイヌナズナと光周性反応タイプを異にする植物(例えば、短日植物)や生活型を異にする植物(例えば、木本植物)においてもFT遺伝子の相同遺伝子が花成に関わっているかは、非常に興味が持たれる。最近になって、農水省のイネゲノム・プロジェクトの矢野昌裕博士の研究グループがイネ(短日植物)の出穂時期遺伝子のひとつがFT遺伝子の相同遺伝子であることを見出しており、シロイヌナズナとイネという光周性反応タイプを異にする植物種間の遺伝子の互換性について共同研究をおこなっている(Kojima et al. 2002)。

4.半世紀以上にわたる謎「フロリゲン」の実体は何か?

1937年にソビエト連邦(当時)の植物生理学者 M. Kh. Chailakhyan が提唱した「花成ホルモン(フロリゲン)」の実体は、植物生理学者・生化学者の懸命の努力にもかかわらず60年後の今日でも、杳として明らかになっていない。しかし、「フロリゲン」という概念は多くの花成研究者の頭から未だに消え去っていないこともまた事実である(参考図書 に挙げた 瀧本 敦 著『花を咲かせるものは何か』 を参照)。例えば、ここ数年、Cell, Trends in Biochemical Sciences といった分子生物学・生化学の一般誌の総説の表題中で "florigen" の語が使用されており、密やかな関心の復活が感じられる。少なからぬ数の研究者が「フロリゲン」の実体を明らかにすることを密かに狙っていると考えられる。

「フロリゲン」の実体は、60年以上に渡って解明を拒み続けてきた謎であり、その解明は植物科学の大きな課題のひとつである。われわれは、FT遺伝子を通してこの謎に挑みたい。(この成果については、「植物の軸と情報」特定領域研究班 (編)『植物の生存戦略 -「じっとしているという知恵」に学ぶ-』(朝日選書821)( 朝日新聞社, 2007年刊)の中に、そもそもの研究の発端から一般向けの解説を書いております。そちらを見てください。

その後の研究の進展については、2003年度〜2005年度の研究成果を参照してください。

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