ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの髑髏蛾

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが弟のテオに宛てた手紙の中に、以下のような一節がある。1889年5月22日付けのサン・レミからの手紙である(岩波文庫の 硲 伊之助訳『ゴッホの手紙(テオドル宛)下』の第592信。同書の169頁)。

「 … 昨日は、死人の頭という珍しい大蛾を写生してみた。その色彩は、黒、灰色、陰影のある白や反射光のある洋紅色、かすかだがオリーブ緑色に転じた色で、たいそう大きい。
 それを描くため殺してしまわねばならなかった。それほどその蛾は美しかったので惜しかった。植物の素描幾点かといっしょに、この素描も送ろう。」
(前掲書により、一部、字句を改めた)

 手紙の中に描かれた「死人の頭 (la tête de mort)」という蛾の素描(下の図)は、岩波文庫にも取られている。同年に描かれた小さな油彩画と素描は、アムステルダムの国立ゴッホ美術館に所蔵されており、1993年に国際植物分子生物学会議がアムステルダムで開かれたおりに、同美術館を訪れて実見することができた。いずれの絵においても、蛾の背中(胸部背面)には、髑髏のような紋様が描かれている。「死人の頭」がこの紋様を指していることがわかる。

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  テオ宛の手紙の一部
 描かれた蛾の背(胸部背面)に人面のような紋様が見える。
 下線部に「死人の頭 (la tête de mort)」という語が見える。

 実は、「死人の頭 (la tête de mort)」と呼ばれる蛾はほかにある。スズメガ科のヨーロッパメンガタスズメ(Acherontia atropos)がそれで、下図のように、ゴッホが描いたものとは、まったく別の蛾である。トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(新潮文庫)に出てくる蛾といえば思い出すひともいるだろう。「めんがた(面形)」の名前のとおり、背中(胸部背面)には人の顔あるいは髑髏を想わせる紋様がある。そのため、古くからこの蛾は死と結びつけられてきた。蝶や蛾についての著作をいくつも残したドイツの作家フリードリヒ・シュナックによると、古代エジプトの棺の中には、この蛾とおぼしき蛾がそのふたの上に描かれたものがあるという。

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ヨーロッパメンガタスズメ(上)
オオクジャクサン(下)

 どちらも Jacob Hübner の古い蝶蛾譜の銅板画からとった。

 日本のクロメンガタスズメの写真は
こちら

 いっぽう、ゴッホが描いた蛾は、正しくは、le grand paon de nuit、オオクジャクサン(Saturnia pyri)という蛾である(上図)。その名前は、各翅の中央にある眼状紋をクジャクの尾羽の目玉模様に見立てたものであろう。ヘルマン・ヘッセの短編『少年の日の思い出』(初期稿の題名は『オオクジャクサン』)の中で、語り手が少年の日に、友だちの標本箱から盗み出す誘惑に負けてしまう蛾がこの蛾であった。その同じ蛾をゴッホは描いたのだった。
 注目すべきことは、オオクジャクサンの背中には、ヨーロッパメンガタスズメのような髑髏紋様が見られないことである。だとすると、ゴッホは何を見たのだろうか? 察するに、ゴッホは「死人の頭 (la tête de mort)」という、大きくて珍しい蛾の名前を知っていて、自分が見つけた、やはり大きくて、おそらくは初めて見た蛾にその名前を当てはめたのではないか。そして、その名前が、蛾の背中のちょっとした体毛の乱れを髑髏紋様のように見させることになったのではなかろうか。
 オオクジャクサンは、のちになって、この蛾を描いたときのゴッホと同じ南仏の、もうひとりの住人をおおいに驚嘆させることになる。『昆虫記』のジャン・アンリ・ファーブルである。ファーブルは、自分が捕まえたオオクジャクサンの雌のにおいに魅かれて、驚くほど多くの雄が集まってくることを見つけたのであった。

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